子どもと向き合う時間の大切さ〜次女の登校しぶりから学んだこと〜

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家に帰ってからのコミュニケーション不足

平日は朝から晩まで仕事に追われ、家に帰ると正直「疲れた〜」という気持ちが先に立ってしまいます。

それでも「家族との時間を大切にしたい」という想いは常にあるんです。特に子どもたちと過ごす時間は、一日の疲れを癒してくれる大事な瞬間。だけど最近、そのコミュニケーションが思うように取れていない自分に気づきました。

本当はもっと聞いてあげたいんです。

「今日は学校でどんなことがあった?」

「学童で面白いことあった?」

そうやって子どもの目線で一日の出来事を聞いてあげたい。

でも現実は、帰宅後にご飯や片付け、明日の準備に追われて「ゆっくり腰を据えて話す時間」がなかなか作れない。宿題を一緒に見ることもできていないし、正直「やりたいけどできてないこと」が多いのが現状です。

次女の登校しぶりに直面して

そんな中で、特に気になっているのが次女のこと。最近「学校に行きたくない」と言うことが増えてきました。理由を聞いても頑なに話さない。妻は心配しつつも、毎朝のバタバタや次女の強い態度に根負けして「じゃあ今日は休んでいいよ」と言ってしまうことがあります。

父親が一緒に校門まで歩く意味

一方で、不思議なことに私が学校へ連れて行くと、次女はすんなり行くんです。私は校門まで一緒に歩くようにしています。もしかしたら「一緒に歩く」という行動が、次女にとって安心感につながっているのかもしれません。ほんの数分のことですが、そこに寄り添いを感じてもらえているのなら、父親としてやれることの一つなのかなと思っています。

根本的な解決はどこにある?

ただ、これも「行けるか行けないか」の表面的な話にすぎません。大事なのは「なぜ行きたくないのか」という根本的な理由。そこに向き合わない限り、本当の意味で解決したとは言えないのだろうなと感じています。

小さなコミュニケーションの積み重ね

だからこそ、やっぱり日々の小さなコミュニケーションが大切なんだと思います。

「今日どうだった?」と聞いても、「別に」「普通」としか返ってこないことは多いです。

でも、ただ横に座って一緒にお菓子を食べるとか、一緒にゲームをするとか、宿題をちょっと手伝うとか。そんな何気ない時間の積み重ねが、子どもにとって「話してみようかな」というきっかけになるのかもしれません。

父親だからこそできる寄り添い

次女の登校しぶりを通して改めて感じたのは、「父親だからこそできる関わりがある」ということ。母親の根気強さももちろん大事だけど、父親なりにできる寄り添いもある。私自身、仕事に忙殺される中で忘れかけていた大事なことを、次女が思い出させてくれた気がします。

これからの私の決意

これからも「なぜ学校に行きたくないのか」という根っこの部分に焦点を当てつつ、まずは日々のコミュニケーションを大切にしていきたい。子どもが安心して話せる関係を築くことが、長い目で見れば一番の解決につながるのかもしれません。

「子どもとの時間は一瞬で過ぎ去る」とよく言われます。まさにその通り。だからこそ、今できることを一つずつ大切に積み重ねていきたいと思います。

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